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2006/12/09

「遠藤周作文学館」 外海地区 出津町

昨日、長崎にでかけまして、本日念願かなって「遠藤周作文学館」に行ってきました。
角力灘(すもうなだ)に面した、素晴らしいロケーションの地に建っていて、
中に入ると、きれいなステンドグラスから漏れる光の中に、大きな遠藤さんの写真パネルがあり、「久しぶりですね!」と心の中で声をかけてしまいました。

展示室では、遠藤文学と長崎に関する事がたくさん読んだり、見たりすることが出来、隠れ切支丹や棄教した人々のこと「沈黙」や「女の一生」に思いを馳せました。
長崎に行く前に読んでいた「落第坊主を愛した母親」を読んでいた私は、棄教者や、棄教しながら再びキリストに帰依するに自分の身を重ねていた遠藤さん、キリスト者でありながら、棄教者に興味を持った遠藤さんが浮かび上がってきました。
そして、遠藤周作さんにとってのマリアさまはお母さんと重なる所があったような気がします、文学舘に飾られたマリア像、それは遠藤さんのお母様が使われていたものをその後遠藤さんがいつもそばにおいていたマリア像でした。この姿があまりに美しく、クリスチャンでない私も、その姿は忘れられないものになりました。

私はクリスチャンではありませんが、何故か隠れ切支丹のことに惹かれたりします、そして、300年以上前日本にきた、たくさんの宣教師達の強い意志を持った信仰心に驚かされます。
キチジローが本来の人間であるような気がしたり・・・
コルベ神父のような人が実際に存在してるし・・・
ひどい拷問を受けながら、殉教していった人もいるし
自分が棄てない事で、苦しんでいる人がいるんだということを突きつけられ踏絵をふんでしまう宣教師がいたり
フェレイラ改め沢野忠庵になった人がいたり・・・

あぁ~ 人間とは強くていいのか弱くていいのか・・・遠藤さんは強者と弱者にわけていた部分もあるけれど、ほんとは強者、弱者 両者でいいのではないのかと考えていたのではないかという気がしています。

外海(そとめ)地区を案内してくださった、タクシーの運転手さんが、「このあたりは昔から山々に囲まれ、入り江 入り江で文化がなりたっていて、他の村との親交もなく言葉も微妙に違います。そんな場所で、子供を育てようにも、食べるものがなく、自然災害に苦しめられ、子捨てを行っていたんです。そういう場所に、キリスト教を布教する人があらわれ、信仰について、知ったとき、深く深く浸透したのではないか、厳しい弾圧がはじまるまで、地区ごとに違う言葉で、キリスト教が浸透していったようです」というようなことをおっしゃっていました。

このような話を聞けた事、遠藤周作さんを偲ぶ場所をたくさん見ることができたことが、うれしく、今後もまだ読んだ事の無い遠藤文学を読み進めたいと思いました。

第2展示室には、狐狸庵先生の楽しいお話や、病院や樹座・宇宙棋院のことについてたくさん展示されていて、ふふふふ’と笑えたこともたくさん!

長崎から車で40分ほどで、交通の便のいいところではありませんが、遠藤周作文学館をはじめ、出津文化村や、黒崎教会は行ってよかった!と思える場所になりました。
文学舘からの景色ほんとにいつまでも忘れないと思います。

いつかもう一度行けますよぅに、 また違った感じ方ができますよぅに・・・

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コメント

遠藤周作記念館・・Tomokoさんは
いろんなところに行かれて
いろんなことを知ってらっしゃるんですね!
私は 遠藤周作さんの記念館があることすら
初めて知りました。
素敵な作家さんでしたね、好奇心旺盛で!
私は「沈黙」と「王妃マリーアントワネット」が
大好きでした

投稿: かおり | 2006/12/10 00:02

かおりさん
私が遠藤周作を知ったのは「ぐうたら人間学」で面白くって面白くって・・
その後いろいろ読んだのですが、沈黙や女の一生を読んだ時、同じ人???って驚いてしまいました。
「王妃マリーアントワネット」もよかったですよね
優等生の兄を持った下の子は・・・という点で、遠藤周作さんに共感を持ったりします(^^;

投稿: Tomoko | 2006/12/10 09:30

長崎には行ったことがありますが「遠藤周作文学館」があることは知りませんでした。
遠藤氏はクリスチャンでありながらそのことにもがいていた人ですが、本物の信者さんだったと思います。
曽野綾子氏もそうです。
さくらももこさんが遠藤氏と対談して逆さばよまれたという話が載っている「もものかんづめ」でも遠藤氏のユーモアが垣間見れます。

投稿: gambie-cat | 2006/12/10 13:03

gambie-catさん
遠藤周作さんのキリスト教徒のかかわりは、子供時代から複雑ですね。お母様との関係と平行して進んでいるような気がします。
月刊新潮の「遠藤周作」特集では阿川親子と北杜夫さんが対談していて、こちらも笑えます。
遠藤さんのお話は面白すぎて、尽きる話がないですね。
マリーアントワネットのお陰で、また遠藤さんとの縁が深まった気がします。周作クラブという会もあるみたいですよ。

投稿: Tomoko | 2006/12/10 20:33

”徒然草枕”のsay-mayです。
トラックバックありがとうございました。
遠藤周作文学館に入ってすぐの氏のパネルにはハッとしますね。
優しげな笑顔で訪問者を迎えてくれます。
一連のキリスト教物は遠藤周作氏の苦しみや、訴えたいことが
様々な局面から語られています。
 遠藤周作氏のマリア様と水上勉氏の慈母観音とを私は比較して
考えます。
 昔は遠藤周作氏と水上勉氏の文学性の異なる二人に何故こんなにも惹かれるのか判りませんでした。
 それがキリスト教徒であった遠藤周作氏と臨済宗の僧侶であった水上勉氏の共通点を見出し、やっと自分自身に納得しました。

投稿: Say-May | 2007/01/19 22:02

Say-May さん
はじめまして、コメント、TBありがとうございました。
遠藤周作さんの他の記事も読ませていただきました。

共通点というのは 許し・・・ただただ 許し・・・のことでしょうか?
私は 水上勉さんの文章は苦手であまり読んでいないのですが、一滴文庫に出かけたとき、何故か身近に感じてしまいました。
それは 私が日本海人だからでしょうか・・・

投稿: Tomoko | 2007/01/21 21:34

Tomokoさん
わがブログへのコメントありがとうございます。
私が感じ取った水上勉氏と遠藤周作氏の共通点は、「加差別者」と「被差別者」の関係とでもいいましょうか。
差別という言葉が刺激が強すぎるのであれば、弱者への優しいまなざしでしょうか。
遠藤周作氏の”沈黙”や”女の一生”などの、切支丹というだけで迫害を受ける人々、またそれによって転んでしまう棄教者自身の弱さと水上勉氏の様々な小説に出てくる差別を受ける者、また人間としての弱さのために愛する人間を裏切る”湖の琴”や”はなれ瞽女おりん”などの一連の悲恋ものという点ですね。
やはり、それは”人間は哀しい”という言葉がぴったり当てはまるような彼らの文学観に心打たれます。
遠藤周作氏の場合、差別する、迫害する側もやはり”哀しい”人なのだと思います。私はこの”哀しい”という言葉が好きです。”悲しい”より”哀しい”です。
しかし”一滴文庫”に行かれたとは嬉しい限りです。

投稿: Say-May | 2007/01/24 01:43

say-mayさま
あぁ~ そうなんですね
差別という言葉は使いづらい言葉になっているのですが、
遠藤周作さんがキリスト者でありながら、棄教者に目を向けたということで、「加差別者」と「被差別者」の世界になっていたのでしょうか?
水上勉さんの育ちにもそういうことがあったような気がします。

人間は哀しい。。。哀歌を背負って生きていくのが人間でしょうか?

一滴文庫は10年ほど前季節のよいときに行きましたので、その佇まいは今でも目に浮かびます。
最近は暖冬でそうでもないのですが、冬には少々厳しい場所かもしれません、でもあの家の中で火を焚いて過ごすと、何か幻想的であろうと想像します。

コメント 感謝いたします。
いつか 再度水上勉さんの本を何か読みたいと思います。

投稿: Tomoko | 2007/01/24 21:32

投稿: 日曜工房 | 2007/02/01 22:32

日曜工房さま

いかがでしたか?
私 近かったら何度でも通いたいです(^^ゞ

投稿: Tomoko | 2007/02/02 19:39

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