「手紙」 東野圭吾
文庫本の「手紙」を読みました。
思考が止まってしまっています。
東野圭吾さんは私と同年代くらいと思われるのですが、よく書いてくださったというか、どうしてあの文言が書けるのか・・・
あの兄弟はあれからどうしたでしょう?
ベストセラーの本であってよかったと思ったりするのは、久しぶりのような気がします。
デスノートの時にも思ったのですが、善をずっとずっと続けていっても、それは善になることがなく、悪は続けていると、それは悪のままで、善というのは難しい。
人とのつながりをゆっくり紡いでいっても、そこには、ところどころ傷があって、みんな綱渡りしながら生きてるのかなぁ~って思ったり、見えないものが不安だから、現物に惑わされるのかなぁ~とか ぐるぐる思考が妙なほうに回り始めたりします。
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コメント
凄い本でしたね。
わたしのなかで東野圭吾ベスト5に入る傑作。
なんでこういうふうに書けるのか。
善と悪は分けることができず、そしてそれは自分の中に必ずある。
人が悲しむとき同時にそれだけではない感情があり
人が喜ぶときそれだけではない感情も存在する。
愛の裏にはどろどろとしたなにかが存在する。
声高に「善」をいう裏に、偽の善が内包する。
胸をかきむしりたくなるような余韻。。
ニュースなどの報道で自分が感じる感情、
思考の浅薄さを見つめ直さざるを得ない。
近年のイーストウッド作品を思い出します。
「許されざるもの」「ミスティクリバー」「ミリオンダラーベイビー」
など。まさに正義と思っていたものが、悪にもなり
綺麗に分けることができないことを描いています。
なにが正しくなにが正しくないのか。
確実なものは存在しない・・
いろいろ考えてしまう作品です。
投稿: | 2006/11/23 00:27
yoshiさんですよね。
私 4章あたりから、涙が出てきてしまって、電車の中で読めなくなってしまいました。
yoshiさんの書いてらっしゃるとおりです。
ただただ人は静かに生きていく
みんななにかしらの荷物を背負って、
静かに生きていけたら すごく幸せなのかもしれませんね。
投稿: Tomoko | 2006/11/23 08:37